ゆめとわの絵

 
 古くからのお客様で女性の画家の方がおります。昨年の3月に東京で個展をされまして、お邪魔したときに、「ゆめとわの絵を描いていただけませんか?」とあつかましいお願いをしました。
 昨日、その絵が完成したと持ってきていただきました。どんな絵になったのか、ワクワクしながら箱から取り出してみますと、パッと見た瞬間にとても気に入ってしまいました。
 
 個展にお邪魔した際に走り書きのようなメモを渡しまして、「こんなイメージでお願いしたいのですが」と申し上げました。
 その内容は、以下の通りです。
 「ゆめとわ」は、「夢・永遠」という意味がもっとも強いです。
 例えば、イモムシはイモムシとして生きている間はたくさんの葉を食べ続けてブクブク太りますが、もう食べ飽きるとサナギになって眠りに入り夢を見ます。そして、その夢はイモムシとしての夢ではなく、蝶になって空を羽ばたく夢です。やがて時が経ち、深い眠りから目覚めるときが来るわけですが、もうその時にはイモムシではなく、本当に蝶のからだになって目覚め、そして空に羽ばたいてまったく新しい生涯を生きるようになります。
 
 「夢」については様々な考え方や意見があると思いますが、もし私たちが夢を見なくなってしまうと、「創造」のエンジンはそこでストップしてしまうのではないかと私は思っています。
 夢が叶わなくても、夢が打ち砕かれても 、夢が散っても、それでも私たちはまた夢や希望を心に抱くのではないかと‥‥。だから創造のエンジンは止まっても必ず再び回り始めるのではないかと、そんなふうに考えています。
 ですから「夢は永遠なんだ」と、そういう意味が「ゆめとわ」にはあるのだと思います。
 
 ということで描いていただいた絵です。

 
そして、これは「海の中」という題がついていますが、恐れ多くも、プレゼントしていただいた絵です。
 
 
ということで、玄関入ったところに二つの絵を掛けさせていただいています。

 これまで「ゆめとわ」ってどういう意味? とたくさん聞かれましたが、なんとなくお茶を濁したような応え方しかしていませんでした。
 整体院の名前なので、このような説明をしてもすぐには理解していただけないと思っていたからです。
 
 小田原のこの場所に店舗を構えて、ちょうど12年が経ちます。たくさんの人達に来ていただきましたが、中には本当にからだが破壊されてしまった人たちや、希望を失ってしまった人たちもいらっしゃいます。そんな人達に相対する私の想いは上記の通りです。夢や希望をほんの少しでも抱いていただければ、きっと創造のエンジンが回りだし、新しい自分がやがて生み出されるのではないかと、そう思いながら、施術によって可能性の道を開いていきたいと考えています。
 
 微かな望みや微かな夢でも、それが実現されれば、次の望みや夢が湧いてきて、それを実現するために努力するのが、私たちの本来の在り方だと思っています。
 腰がすっかり破壊されて「このまま寝たきりになってしまうのかもしれない」と案じていた人は、ちょっと歩けるようになるだけで喜びに満たされますが、それと同時に「普通の人と同じように歩きたい」という夢を抱くようになります。そしてやがてそれが実現しますと、「台所に立って食事を作ったり、家事が少しできるようになってお母さんらしく子供達と接したい」という次の夢が生まれます。そして何年かして、電車に乗ることも、学校行事で5時間座り続けることもできるようになりますと、「游ぐことや走ることもできるようになるだろうか?」というようになります。これが私たちの性であり、だからこそ、創造は止まないのだと思います。
 
 機会がありましたら、絵を見に来てください。