手のひらと足裏から「気」はでている

 今回は、現代医学(科学)ではまったく無視されているような「気」についての話題です。

 昨年から月二回のペースで整体の勉強会を行っていますが、参加者に私の手のひらを見せて、
 「私の右手からは気が出ていますが、左手からは出ていません。」
 「左手の方は親指と人差し指の間の辺りでは反対に気が入っていってますが、わかりますか?」
 と、唐突に尋ねてみました。
 
 普段は、現代科学に基づく解剖学の用語を使って勉強会を進めていますので、「気」のことに関しては皆さんほとんど無知の状態です。

 「エッ????」という反応でしたが、

 「とりあえず、私の手のひらを触って、左右を比べてみてください」と言いました。

 最初は、戸惑うばかりといった反応でしたが、
 「右手の方は、手のひらの中央部分から何かが出ているような気がしませんか?」
 「左手の方は、同じ部分にそのような感じがないことはわかりますか?」
 と誘導しますと、
 「そう言われると、そのような気がする」と反応が返ってきました。
 いきなり「気」のことを問われても、それは戸惑うばかりだったと思います。

 次に、私は両手を握ってグーを作りました。
 そして、また尋ねました。
 「右手と左手で握り方が違うのですが、何処がどう違いますか?」

 答えは、右手の握り方では、小指と薬指側が中心になってグーを作っていて、左手の方は人差し指と中指を中心にグーを作っているということでした。
 つまり、手のどこを主に使って握る動作を行っているのか、使っている筋肉と気との関係を知って欲しかったのです。

 唐突ですが、
 運動会のリレーで、バトンを握るとき、どこで握るのが良いか? ということにも通じるのですが、小指側を中心に握るのが正しい在り方です。そうであれば、走るときに肩に力が入りませんので、腕を大きく振ることができますし、走りながら「バトンを落としてしまうかも」という心配も感じません。
 反対に、親指と人差し指側を主に使ってバトンを握ってしまう人は、自然と肩に力が入ってしまいますので走りが遅くなってしまいます。また、バトンを落としやすいと不安も感じてしまいますので、ギュッと強く握るようになります。ですから、益々肩に力が入った走り方になってしまいます。

 そして、それは「気」の流れと関係しているのですが、そのことを勉強会の参加者に知っていただきたいと思ったのです。
 手のひらから気が出ている人は小指側を中心に握りますが、それは理にかなっています。
 手のひらから気の出ていない人は親指側を中心に握りますが、それは理に反していますので、からだが不調や不具合を招く可能性が高くなります。
 これが簡単な説明ですが、整体療法の入門としてとても大切なことです。

体内と外界(体外)をやり取りしている「気」

 「気」とは何か? という問いに対しては、私はほとんど答えることができません。
 以前、私が今の仕事を始めて間もない頃、「気」とかオーラとか、そういう面に敏感な人がいまして、私が施術をしている最中、クライアントのからだから「黒い煙のようなものが出ている」と言われたことがあります。
 私の目には何も見えませんでしたし、その頃は気に対してもそれほど敏感ではありませんでしたので、「あ~、そうなんだ」ぐらいにしか思いませんでした。しかし、長い間この仕事をしていますと、私も少しずつ気に対して敏感になり、今は「気の流れ」がなんとなくわかるようになっています。
 そして、次のような見解を持つようになりました。

 からだやからだの部位から気が放出されているとき、それは良い状態です。
 からだから気が出ていない、あるいは外界から体内に向けて気を取り込んでいるような状況は改善が必要な状態です。
 からだ(体内)と外界(体外)は「気の流れ」を通して影響し合っていますが、それが最も顕著にわかるのが、手のひらの中心部と足の裏の土踏まずのところです。その部分は全身的な「気」の出入り口のような役割を担っているのかもしれません。

 私は当初、状態の良い人は足裏や手のひらから気が放出されていますので、いわゆる「邪気」がからだから出ていっている、デトックスされているから好ましい状態だと思っていました。
 ですから、手のひらや足裏から気の出ていない人、気が逆に体内に吸い込まれているような人は、体内で生産される不要な気(=邪気)が出せないので体調が悪くなってしまうのかもしれないと思っていました。
 ところが、それはどうも違うようです。

 私は「気」についての見識があるわけではありませんので、体内での気の巡り方を知っているわけではありません。ただ、状態の良い人は体内の気が充実していて、それをどんどん放出しているかのように感じています。
 手のひらの真ん中あたり、足裏の真ん中から土踏まずにかけてのところからスーッと涼しい空気が抜けていっているように感じます。
 そして状態の悪い人はそのようには感じられず、気の流れが停滞しているか、反対に外からの気を体内に向けて吸い込んでいるように感じています。

「気」の流れと施術時の反応

 私の行っている整体療法は解剖学をベースに、骨格筋と筋膜と骨格を対象としていますので、現代科学で説明のできる類のものです。
 ですから「気」についての詳細を知っているわけではありませんし、「気」を前面に出して施術を展開しようとも考えていません。
 しかしながら、西洋医学(現代医学)ではまったく無視されている「気の存在」を、私は実感として認識しています。さらに施術においては気の流れを指針として頼りにしています。

 また私の手の話に戻りますが、勉強会の参加者の一人に、「気」に敏感に反応する女性がいます。
 彼女自身は自覚しているわけではないのですが、私の(気の出ていない)左手を見ますと上瞼が少し落ちて眠たそうな表情になります。そして左手を見続けますとテンションがどんどん下がってしまうようになります。
 反対に、気の出ている右手を見ますと、瞳が大きくなるように瞼が開き、顔の表情も元気になっていきます。
 そして、彼女は私の手だけでなく、別の人の足裏を見ても同じような反応をします。

 私の左手の「気が出ていない部分」(親指と人差し指の間、生命線のあたり)は実は「気を吸い込んでいる」のだと私は捉えています。
 彼女が私の左手を見たときにテンションが下がってしまったのは、彼女の中にある「気」が私の左手に取られてしまったからかもしれまん。もし彼女が、誰かに気を取られても大丈夫なくらい元気な状態、気が充実している状態、あるいは取られてもすぐに気を補充したり生み出すことのできる状態であったならば、テンションが下がることはなかったのかもしれません。

 そんな、彼女の反応を考えながら、私自身はどんな反応をするのか、それを探ってみました。
 すると、私は施術において、気の出ていない手のひらや足の裏を見たり触ったりしますと舌が下がってしまうことがわかりました。そして、施術を行ってその部位所が整い、気が出るようになるにつれ、次第に舌が上がっていくのがわかりました。
 舌が「上がる・下がる」は、「ら行=ら・り・る・れ・ろ」の喋り易さで判別できます。舌が上がっている状態では、苦もなくスラスラと素速く「ら行」を喋ることができます。
 舌が下がってしまいますと、一々舌を持ち上げてからでないと舌先が動きませんので、素速く「ら行」を喋ることができませんし、喋りたい気分にはなりません。

 クライアントの足や手を施術しながら無音の声で「ら・り・る・れ・ろ」と喋ってみます。施術部位の状態が良くなりますと舌が上がってスラスラと動かすことができますので、施術法が間違っていないことが確認できます。そして、どこまで施術を続けるべきかの判断もできるようになります。
 これまでは、いわゆる経験に基づく「見当」を頼りに施術の具合を決めていましたが、これからは、「気が出るようになって私の舌が上がるまで整える」という指針がはっきり持てるようになりました。

「気の流れ」の停滞における症状

 どんな症状であれ、それが筋骨格系の影響によるトラブルであれば、それは物質的な、つまり解剖学的な分野でのアプローチを行うことから施術を始めます。それが私のやり方です。もっと解りやすく申しますと、筋肉と筋膜と骨格を整えることから施術を始めます。

 しかし、「気の流れが停滞している」ことが原因で症状が生じている場合もあります。
 例えば、頭の中がストレスや思考で詰まった状態になっていて、モヤモヤしたり、ボーッとしたり、あるいは鬱(うつ)のように感じてしまっている場合などです。
 また、心情的に胸が苦しい場合も同様です。心配や不安や恐怖、あるいは怒りなど感情的な問題は胸を圧迫します。
 これらのような場合は、その余分なものを手から放出してしまうのが良いのではないかと思っています。
 思考や感情も気と同じレベルのものだと考えますと、たくさんあっても邪魔で、脳や心の正常な働きを狂わせるかもしれません、ですから、溜めずにどんどん放出してしまうのが良いと考えますと、その出口としての場所は手のひらではないかと思っています。
 また、背中や腰が張ってしまい「寝ていても辛い」という場合があります。それは慢性的な胃の張り、腎臓の膨らみによるものかもしれません。そんな場合は、気が胃や腎臓、あるいは他の臓器に溜まっていて流れていない可能性も考えられます。
 こんな時は足裏から出してしまう=足裏から気が出ていくように整えることで、症状が改善される場合もあります。

 これらにつきましては具体的な症例がありますので、次回に紹介いたしますが、長年の悩みが、気を放出できるからだに整えることで解決する場合もあります。


 私は昔、中国で、気功師による施術を受けたことがあります。
 私のからだに一切触れることもなく、部屋の窓を全開にして、外気から気を取り込んで私に送り、治療するという理屈だったと思います。
 しかし、私には何をされているのかサッパリ解りませんでした。そして何の効果があったのかもサッパリ解りませんでした。この治療は外気功による治療だということです。
 また、中医学の講習で、自分で行う気功も教えてもらったことがあります。自分で自分の気をコントロールすることによって、からだを強くするというものでしたが、内気功と呼ばれています。
 そして、実際のところ外気功も内気功もよく解りませんでした。

 このように「気」は、わかる人には解るけど、わからない人にとってはサッパリ理解できず「まやかし」と受け取られてしまう場合もあります。
 ですが、中国で初めて経験してから30年が経って、今は、その存在をしっかり認めることができるようになりました。
 細かいことは解らなくても、「気」(あるいは「プラーナ」)が体内を巡り、外界とやり取りしながら私たちの生理現象に大きな影響を与えていることを知るようになりました。