”こわばり”を取るときは注意が必要

 今回は私の話です。
 私は50年以上前、小学校一年生の時にブロック塀と衝突して、右目の眉のところを数針縫う深い傷を負いました。それによって右瞼を開く筋肉の働きが悪くなり、右瞼の開き方が中途半端な状態になっています。何十年もその状態で過ごしていますので、右目を開くときに無意識に額の筋肉を使うようになっているようです。
 私は仕事柄、接したお客さんのからだで気になることがありますと、その理由や原理を知りたくなり、自分のからだを使っていろいろ試してみる癖があります。

 最近の来店されたお客さんの額の中央部分に、硬く尖ったように感じる筋肉のこわばりがありました。いろいろな考え事で、その部分に力を入れてしまうことが多いのだと思うのですが、その尖ったこわばりをゆるめますと、全身から力みがとれて楽な状態になりました。
 ですから、どのような感じに変化をするのかを知りたくなりまして、自分の額で、硬い部分を見つけては指圧によって直接ゆるめてみました。
 自分の額ですから、お客さまに行う施術ほど丁寧ではなく、半ば力任せにゆるめたのですが、それが良くなかったようです。

 就寝前に布団に入りながら指圧を行っていたのですが、一段落したところで大きく激しいクシャミが何回かでました。すると、頭の右半分に強烈な頭痛が襲ってきました。
 頭痛は30分ほど続きましたが、少しずつ落ち着いてきましたので睡眠に入ることはできましたが、次の朝目覚めますと右手人差し指に筋肉が縮んで硬直したような痛みを感じました。
 おそらく前日の額への施術が原因で、からだのバランスがかなり崩れたのだろうと思いました。

 しかし仕事を休むわけにはいかず、夜まで仕事を続けましたが、すると人差し指の指先が裂けてしまいました。
 おそらく指先の筋肉や筋膜の収縮(引っ張り)に皮膚が耐えきれなくなって裂けてしまったのだと思います。
 すると指先はジンジンとして、指を曲げることだけで激しい苦痛を感じるようになってしまいました。

 また、指先の皮膚が裂けた痛みだけでなく、筋肉や筋膜の強く収縮した緊張が手から腕を超え、右の首筋、右肩にも及びましたので、「まいったなぁ~」と率直に思いました。翌日の仕事に影響が出るかもしれないからです。

 その夜は普段よりもゆっくり湯船に浸かり、ともかく温まって緊張がほぐれるようにと願いました。ところが風呂から出ますと、からだ全体がどんより重くなってしまい、起きているだけでさえ辛く感じるようになってしまいました。普段は入浴後はゆっくりくつろぐ時間を持つのですが、その時は気分が優れずすぐに布団に入ってしまいました。

 翌日も朝から夜まで予約が埋まっていましたので、「なんとか今晩中に良くなりたい!」と思いまして、からだ中に重みを感じながらも布団の中であれこれ考えてみました。
 「額の硬結を取っただけなのにこんなにバランスが崩れてしまって‥‥、何処が間違っていただろうか?」等々悶々としながら、手を額に当てながら思いを巡らせていました。

 すると不意に、50年以上前、小学校一年生の時にブロック塀に衝突して深い傷を負ったことを思い出しました。私は衝突の衝撃で気を失ってしまいましたが、両親は「失明したかもしれない」と思ったというほどの大きなケガでした。
 右眉の端の方を切ったのですが、病院で数針縫いました。その損傷の影響によって50年以上経った今も右上瞼の開き方が中途半端な感じになっていますが、そのことと関係があるような気がしてきました。

 普通は眼瞼挙筋(がんけんきょきん)が働いて上瞼が開きます。ところが私はケガによって眼瞼挙筋の一部が働かない状態になっているのだろうと思います。しかし、物を見るためには眼を開く必要がありますので、無意識に額の筋肉を収縮させて眼を開いていたのだろうと思います。そんな状況が50年以上も続いているわけですから、額の筋肉は部分的に非常にこわばった状態になっていたのだろうと思います。
 あるいは、上瞼に関係する筋肉や筋膜が損傷したことの影響で全身のバランスが崩れないようにと、額の筋肉の一部を硬くして、なんとか全身のバランスを保とうと頑張っていたのかもしれません。
 それなのに私は、その頑張っている部分を指圧によってゆるめてしまったために、バランスが崩れてしまい、右首筋が張り、右肩が重くなり、そして右腕から人差し指にかけてのラインが強く収縮してしまったのかもしれません。おそらくその可能性が高いと思います。

 ですから、布団の中で、今度は損傷してゆるみきっている瞼や眉や額の傷の部分に手を当てるケアを行いました。
 手を当てていますと、あのジンジンとした辛い苦痛感は軽減していきました。指先は裂けていますので、その傷の痛みはありますが、筋の強い緊張による重苦しさは消えました。指先も思い通りに曲げることができるようになりました。
 「ああ、そうだったか~」という感じです。やはりこれも古傷の影響です。
 一箇所崩れただけなのに、それで全身的にガタガタになってしまいました。加齢による体力の衰えを感じもしました。(若く体力があれば、他のところが迅速にカバーしてくれたと思います。)

 そして、そのような手当てを30分くらい続けていますと、からだの重苦しさも消えて布団から出る元気が出ました。そして、裂けた傷はあるものの、翌日の仕事に対する心配もなくなりました。

 ところで、先日、何年かぶりに来店されたお客さん(その時は肩関節の損傷)に「最初の時は、ただ手を当てているだけの施術だったので、“まひかりさん”かと思った」と言われました。
 私はま“ひかりさん”がどんなものなのか詳しくは知りません。
 純粋に、施術の技術として、損傷してゆるんでしまった筋肉や筋膜や皮膚を修復させるためには、“手当て”が最も適していると私は考えています。
 手指を当てていますと、そこに血液やエネルギー(気)が集まってきて細胞の働きが活発になります。それは、その疲弊した部分が脈動を発するようになりますので解ります。
 そして、このような手当てによる施術を繰り返すことで損傷部分が次第に回復していきます。私たちのからだ(細胞)はそのようにできています。ですから、思い込みや偏見を除外してちゃんと考えますと、手当ては適切な施術方法であることが理解できると思います。

 その後4日ほど経ちましたが、朝布団から出る前と夜布団に入ったときに、傷を負ったところや関連して弱くなっている部分に、心を込めて手当てをしています。
 まだ、裂けてしまった傷は残っていますが、仕事は普通にできています。裂けてしまった指先に絆創膏など貼ることもなく、普通に揉みほぐしの施術も行っています。

 単純な肩こりは別にして、腰痛や肩の張り、関節痛を訴える人のほとんどは、揉んでほぐせば症状が改善するだろうと思われているようです。
 ところが腰痛なども含め、からだの途中(手や足を除いたところ)にある硬結(こわばり)を直接ゆるめることに関しては、私は慎重です。
 硬くなって痛みを出している腰を揉んだ欲しいという気持ちは良くわかります。ところが、その硬さは、上記のように何処かにある弱い部分を補うために硬くなって頑張っている部分なのかもしれません。そうであれば、その頑張っている部分をゆるめてしまうことはバンランスを崩して更なる症状の悪化を招く可能性があります。
 接骨院で低周波や光などの電気治療を行ったあとで症状が悪化してしまったなどの経験あれば、それは、このような状態である可能性が考えられます。
 ですから施術の原則は、症状のあるところはいじることなく、別の場所を施術して、症状がなくなるようにすることであると、そのように考えています。
 この原則を外しますと、今回の私のような状態になってしまいます。 


 何日間か過去の傷痕を手当てしていますと、すっかり忘れていたブロック塀への衝突場面がおぼろげに思い出されてきました。塀の角に頭をぶつけ、それが骨に届くほどの傷だったことも思い出されてきました。
 そして、傷痕の残っている部分の骨を触ってみますと、今尚、少し凹んでいる様子を感じることができます。きっと骨膜の傷が治りきっていないために、その部分の骨の新陳代謝が上手くいっていないのかもしれません。あるいは、骨とはそういう性質をもっていて、傷は傷としてずっと残ってしまう仕組みになっているのかもしれません。
 ですから額の左側と右側で骨の様子が異なるわけですが、凹んだ部分が手当てを続けることで膨らんで平らになり、左側と同じようになるかどうかを観察していきたいと考えています。
 そして、この骨の傷と筋膜の損傷が回復したときには上瞼の開き方や様子が変化すると思うのですが、それも観察してみたいと思っています。