その男性は30代半ばの体格の良い人です。10年ほど前に腰椎ヘルニアを患い、その後、慢性的な腰痛と背中痛と首の痛みに悩まされているとのことです。学生時代は弓道をやっていたということで、その後はからだの痛みもあって特に運動はしていないとことです。仕事は営業で、立っていることが多く、かなり重たいカバンを右手で持ち歩いているとのことです。
今回来店された目的は腰痛と首の痛みを軽減したいということでした。ヘルニアに関しては10年前に坐骨神経痛(下肢のシビレ)でかなり苦しんだとのことですが、その後症状の再発はないとのことです。
施術前に私が簡単に観察したところ、左目の周りがピクピク痙攣していて、顔や首がこわばっているように見えました。痙攣のことを尋ねますと、常態的に顔面左側にこわばりと痙攣があるとのことでした。
ベッドにうつ伏せになっていただき施術を始めますと、足裏、ふくらはぎ、太股、殿部、腰部、背中、首、後頭部、つまり全部がとてもこわばっていてバリバリでした。その他には、右肩(肩甲骨)が大きく外側にズレていました。
「腰痛、首痛というよりも‥‥、背面全部が駄目な状態だ!」と感じました。そして、「何か厄介な状況でなければいいのだが」と思いながら、うつ伏せでの施術を終え、仰向けになっていただきました。
仰向けでからだの前面を観察しますと、やはり全部がこわばった状態でした。腕も、手も、顔も含めてです。「これは、やっぱりおかしい! 通常の不具合とは違う」と直観しまして、「どうしたものか?」と施術方法について思考を巡らせながら細かく観察していきました。「パーキンソン病などの初期症状とかでなければいいけど」
ゆるみ
筋肉やからだの仕組みの一つとして「何処かにゆるんで機能できない部分があると、それを補おうとして他の部分がこわばる」という性質があります。この仕組みによる全身のこわばりであれば、からだの中心部分に機能できない部分がある可能性が高いです。「中心が頼りないので周りが頑張って(緊張して)何とか今の状態を維持している」というようなイメージです。
まずは腹部から胸にかけて探っていきました。すると胸郭の上の方、胸骨のやや右側、第3~第4肋骨のつけ根辺りに凹んで落ち込んでいる部分がありました。しばらくそこに手を当てていますと、バリバリに硬くなっていた太股や腕の筋肉が少し柔らかくなりました。腹筋も少し伸びたような感じです。
さらにその部分の肋骨が右側にずれていましたので「ここが少し凹んでいますが、何かありましたか?」と尋ねますと、「就職して間もなくの頃、痛くなったので病院に行ったらヒビが入っていると診断された。打撲した記憶もないのに不思議に思った。」ということでした。さらに、「考えられるとしたら、いつもかなり重たいカバンを右手で持っていたので、それでかなぁ」という大きなヒントが返ってきました。
右側の肩甲骨が外側にずれていること、重たいカバン(5~6㎏)を持っていたこと、そして肋骨にヒビが入ったこと、これらから連想できることはカバンの重たさにからだが負けて、肋骨が損傷し、肩甲骨が右側に落ちてしまった状況です。
重たいものを持ち続けることでこわばる筋肉は前鋸筋と手や腕の筋肉です。前鋸筋は肋骨と肩甲骨をつないでいますが、この筋肉がこわばりますと肩甲骨が外側にずれて肋骨の動きが制限されるといった状況を招きます。
また反対に、重たいものを持ち続けることで疲弊する可能性のある筋肉が幾つかあります。その中の一つに大胸筋がありますが、大胸筋は胸骨や肋骨を起始(筋肉の始まり部分)にしていますので、重たいカバンを持ち続けていることに耐えきれなくなって胸骨と肋骨の境辺り(起始部)が損傷し、その影響で肋骨が外側にずれてしまったと考えることもできます。そしてこの損傷により胸郭の一部筋肉あるいは筋膜が機能できなくなり、それを補うように全身の筋肉がこわばってしまった、という可能性は十分に考えられることです。
ですから胸の損傷部分のケアを行い、前鋸筋のこわばりを取って胸郭を歪みの無い状態に戻すことを行いました。すると、バリバリにこわばっていた腕や太股やお腹や背中の筋肉がゆるみはじめました。前鋸筋の強いこわばりによって制限されていた胸郭の動きも良くなったため呼吸が楽に行えるようになりましたが、それも筋肉のこわばりを解消するために不可欠なことです。
さて、あとは左目の周りを中心にピクンピクンしていた痙攣状態がどうなったかですが、顔面左側のこわばりは残ったままでした。
「左半身か左手などにケガした記憶はありますか?」と尋ねました。しばらく記憶をたどられた後、「弓道をしていた頃、強いバネ指になってしまい、今も中指はバネ指状態です。」と仰いました。確認しますと左肘関節が捻れた状態でした。(前腕が橈側にずれ、さらに回内位に捻れた状態)
ここで、前回の記事で取り上げました中間広筋のテストをしてみました。何も操作しない、肘が捻れたままの状態でテストをしますと、手を握った状態、奥歯を噛みしめた状態では膝に力が入り、手を広げ、奥歯を離した状態では力が弱くなってしまいました。次に私が手動で操作して肘の捻れを正しい位置に戻すようにしてテストを行いますと、手を広げ、奥歯を離した方が力強くなりました。つまり、左肘の捻れがエネルギーの流れを悪くしているということがわかりました。
ですからこの人は、弓道をしていてバネ指になってしまった大学生の頃から、手を握る癖、噛みしめる癖、もっと言えば首肩に力が入ってしまう癖を持っていた可能性があると考えることができます。これだけでも全身が緊張状態になって筋肉がこわばる傾向になりますが、その後の胸の損傷や肩甲骨のずれにが加わったことによって全身の筋肉がバリバリになるほど強くこわばってしまったと考えることができます。
左肘の歪みと捻れの原因は左手と左手指の強いこわばりでした。弓道をしていたころの名残かもしれません。「力を抜いて弓を操作するように指導されたけど、なかなかそれができなくて、ついつい力が入ってしまったからかなぁ」と仰っていました。
左手のこわばりはかなり強く、たくさん揉みほぐしましたが「すっかりほぐれた」という状態には至りませんでした。しかし、肘の歪みと捻れはだいぶ良くなり、中指のバネ指状態もほとんど解消しました。
その後、また筋力テストを行いましたが、今度は何の操作をしなくても手を開いた状態、顎を弛めた状態で中間広筋にしっかり力が入るようになりました。こわばっていた顔面左側もゆるみ、痙攣の兆候も消えました。
これで概ね施術は終了ですが、細かい部分を確認するため座位になっていただきました。座った状態での腰痛や背中の張り、首の痛みなどがどうなったかを確認していただき、さらに立っていただき、からだの動きなどを確認していただきました。
ご本人は来店された目的が果たされ満足されたようですが、私は気になることが少し残っていました。右の肩甲骨がまだ少し外側に動いてしまいます。リラックスした状態で、からだはしっかり保てるようになってはいたのですが、十分にしかっりした状態ではないと判断しました。そしてそれはきっと右肩甲骨に不安定さが少し残っているからだと思いましたので、細かく確認していきました。
すると背骨と肩甲骨を結んでいる小菱形筋と大菱形筋にゆるんでいる部分がありました。「重たいカバンは二つの菱形筋までも疲弊させてしまったのか」と思いながら、その部分にはダイオードを貼って筋肉の修復を促しました。
これで施術は終了しました。左肘の捻れと胸の損傷が「すっかり良くなった」とは言い切れない状況でしたが、来店時の全身バリバリのからだはすっかり変わり、左目周辺の痙攣も解消されていましたので「まずまず」といった感じです。苦しそうな感じで来店された雰囲気が、すっかり変わり、楽しそうな雰囲気なって帰られる姿を見るのはいつも私を心地良い気分にさせてくれます。
時系列的にこの方の症状を整理してみますと、以下のように考えることができます。
- 大学生時代の弓道で左手に必要以上に力が入り、それによって肘が捻れを起こし、バネ指になってしまった。さらに左手のこわばりと肘の捻れは顔面に痙攣をもたらし、エネルギーの流れを悪くしたために手を握る癖、歯を噛みしめる癖をもたらした。からだから力を抜いてリラックスすることがなかなかできない状態になってしまった。
- そんな慢性的緊張状態のまま就職し、営業職でかなり重たいカバンを持って歩き続けなければならない状況になった。すると間もなくからだが耐えられなくなり腰椎ヘルニアを患い、さらに右腕と肩が荷物に引っ張られ続けたために肋骨にヒビが入る状態になった。そのことの影響で全身の筋肉がバリバリ状態になって①の状態を悪化させた。
「腰痛なのに腰は施術しないのですね」と施術後尋ねてきました。
「腰痛というより、全身の筋肉がバリバリに張っていた症状でした。背筋の強いこわばりが腰椎を圧迫するなどして痛みをもたらしていたし、背骨の状態が悪かったのでからだを反ることが出来なかった。筋肉がゆるんでしまえば腰痛や反ることのできない症状はなくなると思ったので。」と回答し、「最初は何かの病気の可能性も考えられると思ったけど、原因がはっきりして、病気ではないことがわかったこともよかったと思います。」と申し上げました。