首が倒れて上が向けない

 薬局を経営されている60歳代後半の女性Sさんが、4ヶ月ほど前から首を普通に保つことが出来なくなってしまったと来店されました。「年末の仕事が忙しく、ずっと下を向いた状態でいたのがいけなかったのかなぁ?」と仰っていました。

 からだの状況を観察しますと、立位では、首はその根元(第7頸椎)のところからすっかり前に倒れていて、無理をしないと首を起こして正面を向くことができません。
 首が倒れたままの状態で頭を回旋させ、横を向きながら覗き込むような感じで目の前の相手と会話しなければならない状況です。
 そして、下腹を大きく前に出すような反り腰で、その反動として猫背であり、確実なかかと重心です。骨盤はすっかり後傾していて、お尻はすごく垂れた状態になっていました。

 座位では背もたれもないのに、背もたれのある椅子に座っているように上半身が後に傾いています。
 「少し上半身を前傾させるように座ってみてください」と申し上げても、それができません。坐骨のかなり後側に重心があって、そこから重心を前に移動することができないので、前傾姿勢ができないのです。

ポイントは3つ

 Sさんは、これまでにギックリ腰の経験はなく、腰痛の経験もそれほどないとのことです。それなのに下腹を前に突き出すような反り腰の立ち姿になってしまったのは何故なのか? という疑問が生じます。(この疑問に対する明確な答えはまだ掴みきれていません)

 反り腰の姿勢は、それだけで猫背をまねき首が前に出てしまいますが、おそらく何十年もその姿勢を続けていたと予想されますので、背面の筋肉はゆるみきった状態になっていると思われます。そして前に出た首を支えるために、首前面や胸元の筋肉は反対に硬くなっていると思われます。

 そして全身を触りながら確認していきましたが、実際そのような感じになっていました。
 お尻の筋肉はとてもゆるゆるで、「しっかりした状態に戻せるだろうか?」と考え込んでしまうほどの状況でした。
 それでも、この問題(反り腰)が1番の要だと感じました。骨盤の後傾が改善され、お尻の筋肉がしっかりすれば、骨盤を中心に動くことができるようになって反り腰は改善されると思います。反り腰が改善されれば、猫背も改善され、首は自ずと立ってくると思います。
 ですから、次の3つのポイントに重点をおいて施術を行うことにしました。

  1. 反り腰の改善‥‥かかと重心にも通じることですが、骨盤が前傾して中殿筋に力が入る状態になれば、骨盤を中心に立ったり座ったりすることができるようになります。すると自然と反り腰状態は改善されていきます。
  2. ゆるんだ背面筋肉の機能回復‥‥長年の姿勢や下を向き続けることの多い仕事の影響で、首の後側の筋肉が伸びきった状態になっています。そして、その状態は首の後側だけでなく、背骨を支える筋肉(脊柱起立筋群)にまで及んでいますので、普通の人なら何の苦もなく行える「顔を上げる動作」ができない状態になっています。
     うつ伏せで寝た状態で、頭を上げて前を向くことが出来ないことからも、それがわかります。

  3. 首の前面~胸にかけてのこわばった筋肉の改善‥‥猫背で首が前に出てしまった姿勢であり、さらに首背面の筋肉が働きの悪い状態でありながら、なんとか首の状態を支えるためには、首前面の筋肉で頑張るしかありません。
     ですから、首前面の筋肉は強くこわばった状態になっていましたが、こわばりは胸回りの筋肉にまで及んでしました。顎は噛みしめ状態になって緊張していますので、肩こりも酷くなってしまいます。

 上記の3つのポイントは互いに関連し合っていますので、一度の施術で全部を行う必要があります。
 たとえば、首後面の筋肉を調整を行わないまま首前面のこわばりを取ってしまいますと、首を支えるために頑張っているのものがなくなってしまいますので、症状はさらに悪化してしまいます。
 このことは重要で、一般の人は「硬いところをほぐせば良くなる」と思っているようですが、首後面の調整を行わないまま、硬くこわばっているところを揉みほぐしたり、あるいは低周波などの電気をかけてゆるめたりしますと、とんでもない状況になってしまう可能性もありますので十分に注意してください。

反り腰を改善するために

 反り腰は「下腹を前にだしてバランスを取っている姿」とも解釈することが出来ます。ですから、「どうして元々のバランスが崩れてしまったのか?」という問題を追及しなければなりませんが、多くの場合で、ケガ(ギックリ腰や肉離れも含む)や歯の治療や手術といったことがきっかけになっています。ところが、Sさんの今の段階では記憶では、そのようなものは覚えもなく思い出せないとのことでした。(何度か施術しているうちに、フッと思い出すかもしれません。そのような人は多いので)

 Sさんの下腹を前に出す姿は骨盤に寄りかかっている状態であるとも解釈できます。このような状態をほとんどの人は骨盤を使って立っていると認識するかもしれませんが、それは間違いです。ただ骨盤に寄りかかっているだけです。

 反り腰の人は、骨盤が後に傾いていてお尻の筋肉がたるんでいるという特徴があります。若い人や子供たちはお尻の筋肉がプリプリしていますのでたるんでいるようには見えないかもしれませんが、年齢や若々しさに関係なく、骨盤が後傾しますとお尻の筋肉はたるみます。

 ですから、反り腰を改善するためには骨盤の後傾を改善する必要がありますが、要となるのは骨盤の中心である仙骨・尾骨です。

 仙骨は直接背骨(脊椎)に繋がっていますので、頸椎の状態や頭蓋骨(後頭骨)の影響を受けます。また尾骨は会陰や肛門を含んでいる骨盤底筋と直接関係していますし、間接的には太股裏側のハムストリングや大内転筋などの影響を受けます。

 椅子に座り続けることの多い人は骨盤底筋が硬くなっていますので、ストレッチは有効です。

 また、ふくらはぎがガチガチに硬くなっているのに反して、太股の裏側がユルユルになっている状態の人がいます。それはかかと重心の兆候であり、足裏の筋肉も硬くなっているはずです。ですから足裏の筋肉をよく揉みほぐすことは対症療法として有効です。
 ふくらはぎの筋肉は足の指(足趾)や足裏の筋肉の状態が反映されますので、硬いふくらはぎを揉みほぐすよりも足裏や足趾をよく揉みほぐした方が効果的です。
 そしてふくらはぎの筋肉の硬さが改善されますと、太股裏側のユルユルも良くなってしっかりとした感じになりますが、仙骨の状態もしっかりして、ある程度骨盤の後傾は改善されると思います。
(専門的には、半膜様筋と大内転筋の状態が良くなることが肝心です)

 頭部や頚部の問題で脊椎が歪み、その影響で仙骨が下がって骨盤が後傾している状況もあります。これについては、他(以下)の2つのポイントを調整することで修正します。

ゆるんでいる背面筋肉の回復

 ゆるんで働きの悪くなっている状態の筋肉を、私が専門家として施術で回復させるためには、以下の2つのことを行います。

  1. 筋肉の働きを邪魔する要因となっている骨格(脊椎)を調整する
  2. 細胞の働きが悪くなっている部分にエネルギーがやって来て細胞の働きが活性化するように手を当てる

 背骨は24個の脊椎が繋がって形成されていますので、一つ一つの脊椎(椎骨)はある程度自由に動ける状態になっています。そしてそれが故に、骨格は歪みやすいわけですが、椎骨が下を向いた状態(背骨の出っ張り=棘突起は上を向いた状態)では、その部分の筋肉は収縮しづらい状況になりますので、仙骨を引き上げる能力が低下してしまいます。
 ですから、脊椎の一つ一つを確認しながら椎骨が下向きになっているものを正すように調整を行います。(施術の詳細は省きますが、背骨をバキバキすることは全くありません)

 このブログを読んでくださっている人には何度もこの話を出して恐縮しますが、筋肉がゆるんで働きが悪くなってしまった状態は、伸びきってしまい戻らなくなったゴムにたとえることができます。ジャージやパジャマなどのウエストのゴムは使い続けているうちに伸びてしまい、ダラーンとしてしまいますが、筋肉も疲弊してしまいますと同じような感じになってしまいます。

 猫背の姿勢では、肩甲骨周辺の山(出っ張り)の部分の筋肉は伸びやすくなってしまいます。加えて首が下に向いているわけですから、首後面の筋肉は伸ばされ続けているわけで、疲弊して戻らないゴムに近い状態になってしまうのは当然のことであると言えます。
 ただ、ゴムはその弾力性や収縮力を取り戻すことは不可能ですが、筋肉の場合は、少しずつでも機能を回復することができます。そこに望みはあります。そして、そのためには筋細胞がしっかり働けるようになることが必要ですし、エネルギーが必要です。ですから、手当ては有効な手段です。

首前面~胸にかけてのこわばり

 私たちのからだには「補ってバランスをとる」という仕組みが備わっています。
 たとえば、左足の小指をケガして小指側に荷重をかけられない状態になったとします。すると、からだが勝手に調整して自動的に右足を主体にして動くようになったり、あるいは左足の親指側で頑張るようにして小指側の負担がなくなるような使い方をするようになったりします。

 Sさんの場合もこの仕組みが働いて、ゆるんで働きの悪くなっている背側の筋肉を補うように自動的に腹側の筋肉が頑張って姿勢を支えるようになります。つまり、腹筋や胸筋や首前面や喉の筋肉が背筋の分まで頑張るのです。ところが、反り腰の姿勢が影響して下腹の筋肉(腹筋)もゆるんでしまい力が入らないので、胸~首にかけての筋肉で頑張るしかない状態になってしまいます。
 ですから、胸回りの筋肉と首前面の筋肉はこわばった状態になっていますが、それもまた、首を上げることが出来ない原因になっています。

 斜角筋(しゃかくきん)はこのブログでもしばしば登場する筋肉ですが、首の運動と運動制限に深く関与する筋肉です。
 文献上は、その本来の働きは呼吸運動を補助することになっています。しかし実態は、頚部の不快感や首のコリと運動制限などの原因になる筋肉です。さらに、そしゃく筋と深い関係にありますので、噛みしめや歯ぎしりなどの癖に直接関わっています。
 また、頚椎を歪める筋肉ですので、脳神経の働きにも影響をもたらします。中斜角筋が強くこわばって眼の働きが悪くなっていることは頻繁に見受けられる現象です。

 Sさんの場合、普通はあまり見られない現象として3つある斜角筋のすべてがこわばった状態になっていました。つまり、3つの斜角筋のすべてが首(頚椎)を前下に引っ張っている状態でした。この状態では、首を起こすことは難しいですから、斜角筋のこわばりを解消することが必須事項となります。

〇大胸筋のこわばりと前鋸筋のこわばり

 Sさんの斜角筋がこわばっている原因を探していきますと、胸に拡がっている大胸筋が硬くこわばっているところにたどり着きました。中でも腕のつけ根の辺りの線維が強くこわばっていました。
 胸を揉みほぐすようにしてこわばっている大胸筋をゆるめますと、頑固にこわばっていた斜角筋が少しずつゆるみ始めました。

 そして次に大胸筋がこわばっている理由を探しましたが、それは体側にあります前鋸筋(ぜんきょきん)の硬さが原因でした。長年にわたるこわばりの蓄積なのか、ゆるめる施術を行ってもなかなか筋線維がゆるみません。前鋸筋は手の親指と関係する筋肉ですが、脇が開いた状態で手を使い続けていたのかもしれません。
 両側の前鋸筋をしばらくの間ゆるめていましたが、すると呼吸が深くなり始めて次第に全身から力が抜けていきました。そして、大胸筋のこわばりもゆるみ、斜角筋や首周りの他の筋肉もゆるんで、楽な状態になりました。

 私の施術は、筋肉の連動や骨の連動といった仕組みを利用しながら全身を整えていくものですが、前鋸筋と大胸筋が連動し、さらに斜角筋が連動するといった流れがあることは認識していませんでした。しかし、今回は明らかにこのような現象が起きました。
 このことについては追々考察していこうと考えていますが、もしかしたら腹筋が使えない状態だったために、胸回りの筋肉が総動員で頑張っていた結果として前鋸筋も大胸筋も斜角筋も全部硬くなってしまったということなのかもしれません。

 さて、以上の3つのポイントについて施術を終え、ベッドに座っていただきました。すると、すっかり良くなったというわけではありませんが、背もたれに寄り掛かるような姿勢ではなくなっていました。ほぼ垂直な感じで座ることができていて、首も立ち、まっすぐ正面を向くことができる状態になっていました。
 そして、立位を確認しましたが、反り腰状態もだいぶ軽減していました。かかと重心がすっかり良くなったわけではありませんが、施術の方向性は正しいと知ることができました。

 Sさんから話しを伺いますと、若い頃から反り腰だったようです。
 長年にわたるその癖はすぐには改善できないと思いますので、何度か施術を行っても「3歩進んで2歩下がる」というような感じになると思います。しかし、やがては確実に症状は克服でき、さらに反り腰と猫背が改善されれば、この先、効率的で快適なからだの使い方ができると思います。


 前述しましたが、今回の説明で皆さんに知っておいていただきたい大切なことは、3つのポイント全部を調整しなければ良い結果を期待することはできないということです。
 そして3つはバラバラにあるのではなく、密接に関連し合っています。
 反り腰によって猫背になり、背面の筋肉が伸びて首が支えられなくなり、それを支えるために首前面~胸にかけて硬くなり、それが故に益々猫背が進み、それが故にさらに反り腰になってしまう、といった関連性があります。ですから、反り腰も修正しなければなりませんし、背中の筋肉の働きも戻さなければなりませんし、硬くなっている首前面~胸の筋肉もゆるめなければなりません。どれか一つ欠けても良いバランスを築くことはできないと私は考えています。